"かなえられない恋"の等身大のリアリティ
その容姿とファッション性から"洒落たポップスを歌う女性シンガーソングライター"と捉えられがちだが、biceの作る楽曲は、確固たる個性を持った、極めて作家性の高い音楽である。派手さはないが、様々な事柄を想起させる切なく響くメロディと、どこか客観の視点で紡がれたことば、そして、シンプルだがドラマティックなアレンジ、といった具合に、そこにはある種の普遍性が宿っている。 本稿では、そんな彼女に聞いた6年ぶりの最新アルバム『かなえられない恋のために』の制作経緯を紹介する。
■取材・文:濱田高志
--今回、アルバムのプロデュースを手掛けられた小西さんとは、以前から交流があったんですか。
いえ、まったく何の接点もなくて、私にとっては、雲の上の人だと思ってました。だから、今回こうしたいい状況でアルバムを出させて頂いて、とても嬉しいんです。この2年間、裏方で楽曲提供などの活動がメインだったので、自分で歌う自信をなくしていたところもあったんですけど、小西さんやスタッフの皆さんのお陰で自信を取り戻せましたし、本当に感謝してます。
--今回、biceさんの作品を初めて耳にする方もいると思いますので、音楽との出会いにまで遡ってお話を伺います。そもそも音楽を始められたきっかけは。
音楽を始めたのは4歳か5歳の時に、隣に住んでたお姉さんからオルガンをもらったのがきっかけです。私、それまで音楽なんて何も習ってないのに、いきなりそのオルガンを弾けたんですよ。で、それを見た父が、「この子にピアノを買ってあげよう」と言って、アップライトのピアノを買ってくれたんです。それから先生について習い始めたんですね。ソルフェージュから入って、音符を書けるようになった頃、ノートの裏に書いてた自作を、たまたま先生が見つけて「これに伴奏をつけてあげる」と言ってくれて。さらに「この曲を合奏会で演奏しましょう」ということになったんです。その時「あ、曲っていうのは自分で作るものなんだな」とぼんやり思って。
--家族の誰かが音楽をやっていたなんてことは?
いえ、普通のサラリーマンの家庭なんで、特にそんなことはないんです。私、小さい時から、とにかく何でもコピーするのが好きだったんです。それこそ小学校2年生の時に、『ドラえもん』の歌に伴奏つけてクラスの皆で歌ったり。合唱コンクールの伴奏なんかをやってました。でも、作る作業は小学校1年生で一旦終わって、しばらくは作らなかったんです。
--再び曲を書き始められたのはいつ頃ですか。
中学生の時にテニスをやってたんですけど、私、やっぱりオルガンの音色が好きだし、もっと色んな音を出したい! と思って、ある日、それまで貯めてたお年玉で、ポータトーンを買ったんです。で、中学2年の時、初めて歌詞まで書いたものが〈TEENS'MUSIC FESTIVAL〉の東京大会の予選を通過しまして。何とそれが〈ベストアイドル賞〉というのに選ばれたんですよ。その後、高校生になってからどんどん曲を作り始めるんです。
--プロを目指したのはいつのことですか。
親戚がテレビの制作会社をやってたんで、18歳の夏休みにそこでアルバイトしたんですよ。で、「将来、作曲家になりたい」なんて話してたら、「作家の事務所ならツテがあるよ」って言われて、事務所を訪ねたんですね。当時、私は作家でOLってのが夢だったんです。で、先方に「作家として雇ってもらえませんか」と言ったら「この世界、そんなに甘くないよ」って返事で。「自分が歌って作品を出していかない限り名前は知られないし、そんな中途半端なことでは無理だよ」と言われたんです。後日、事務所の方がうちの親に説明に来てくれたんですよ。で、その時に、「OLは諦めて、私は作曲で頑張ってみます!」ってことで、その事務所に入りまして、そこから曲作りとアレンジの日々が始まるんです。
いえ、まったく何の接点もなくて、私にとっては、雲の上の人だと思ってました。だから、今回こうしたいい状況でアルバムを出させて頂いて、とても嬉しいんです。この2年間、裏方で楽曲提供などの活動がメインだったので、自分で歌う自信をなくしていたところもあったんですけど、小西さんやスタッフの皆さんのお陰で自信を取り戻せましたし、本当に感謝してます。
--今回、biceさんの作品を初めて耳にする方もいると思いますので、音楽との出会いにまで遡ってお話を伺います。そもそも音楽を始められたきっかけは。
音楽を始めたのは4歳か5歳の時に、隣に住んでたお姉さんからオルガンをもらったのがきっかけです。私、それまで音楽なんて何も習ってないのに、いきなりそのオルガンを弾けたんですよ。で、それを見た父が、「この子にピアノを買ってあげよう」と言って、アップライトのピアノを買ってくれたんです。それから先生について習い始めたんですね。ソルフェージュから入って、音符を書けるようになった頃、ノートの裏に書いてた自作を、たまたま先生が見つけて「これに伴奏をつけてあげる」と言ってくれて。さらに「この曲を合奏会で演奏しましょう」ということになったんです。その時「あ、曲っていうのは自分で作るものなんだな」とぼんやり思って。
--家族の誰かが音楽をやっていたなんてことは?
いえ、普通のサラリーマンの家庭なんで、特にそんなことはないんです。私、小さい時から、とにかく何でもコピーするのが好きだったんです。それこそ小学校2年生の時に、『ドラえもん』の歌に伴奏つけてクラスの皆で歌ったり。合唱コンクールの伴奏なんかをやってました。でも、作る作業は小学校1年生で一旦終わって、しばらくは作らなかったんです。
--再び曲を書き始められたのはいつ頃ですか。
中学生の時にテニスをやってたんですけど、私、やっぱりオルガンの音色が好きだし、もっと色んな音を出したい! と思って、ある日、それまで貯めてたお年玉で、ポータトーンを買ったんです。で、中学2年の時、初めて歌詞まで書いたものが〈TEENS'MUSIC FESTIVAL〉の東京大会の予選を通過しまして。何とそれが〈ベストアイドル賞〉というのに選ばれたんですよ。その後、高校生になってからどんどん曲を作り始めるんです。
--プロを目指したのはいつのことですか。
親戚がテレビの制作会社をやってたんで、18歳の夏休みにそこでアルバイトしたんですよ。で、「将来、作曲家になりたい」なんて話してたら、「作家の事務所ならツテがあるよ」って言われて、事務所を訪ねたんですね。当時、私は作家でOLってのが夢だったんです。で、先方に「作家として雇ってもらえませんか」と言ったら「この世界、そんなに甘くないよ」って返事で。「自分が歌って作品を出していかない限り名前は知られないし、そんな中途半端なことでは無理だよ」と言われたんです。後日、事務所の方がうちの親に説明に来てくれたんですよ。で、その時に、「OLは諦めて、私は作曲で頑張ってみます!」ってことで、その事務所に入りまして、そこから曲作りとアレンジの日々が始まるんです。
--つまり、作家契約されたってことですね。
はい。しかも、うまくいけばアーティスト・デビュー、みたいな感じで。実際、1年も経たないうちに某社でデビューが決まってデビューしたんです。それからというもの、まだ作家性も確立されてないなか、週3回の曲出しが始まるんです。あの頃は、アルバム1枚作るにあたって70曲とか100曲とか書いてました。そんな時期が4、5年続いた後、色々あって事務所を辞めて、本当に自分でやりたいものをやったのが、アンダーフラワーというレーベルから発売した『Spotty Syrup』(98年)ってアルバムなんです。
--これまで、自発的に好きで聴いてきた音楽はどんなものですか。
学生時代はニュー・オーダーとかプリファブ・スプラウトとか聴いてました。プリファブ・スプラウトは本当に大好きです。その後がソフトロックですね。メロディの美しさと展開に惹かれました。あと、ゾンビーズには相当影響受けましたよ。転調の仕方なんかの勉強になりました。今も好きでよく聴いてますし。
--劇伴もやってらっしゃるんですね。
結局、作家志望なので、昔から背景音楽をやりたかったんです。最初にやったのが『ムコ殿』(01年)ってドラマで、ほかにも『きみはペット』(03年)とか、最近だとアニメ『きらりん☆レボリューション』(06年)の音楽もやらせて頂きました。劇伴は、まだまだたくさんやりたいですね。
--では、アルバム『かなえられない恋のために』について。全体にリスナーに媚びてない感じがします。登場する女性がどれも自立した印象がありますが。
そうですね。どちらかというと、女性上位なところが多いかも知れません。男性に寄りかからずに、「私は私でいきます」って感じの女性が主人公。OLの子がちゃんと仕事で稼いで、自分でマンションも買っちゃった、みたいな。それでいて自由に恋愛してる感じ。
はい。しかも、うまくいけばアーティスト・デビュー、みたいな感じで。実際、1年も経たないうちに某社でデビューが決まってデビューしたんです。それからというもの、まだ作家性も確立されてないなか、週3回の曲出しが始まるんです。あの頃は、アルバム1枚作るにあたって70曲とか100曲とか書いてました。そんな時期が4、5年続いた後、色々あって事務所を辞めて、本当に自分でやりたいものをやったのが、アンダーフラワーというレーベルから発売した『Spotty Syrup』(98年)ってアルバムなんです。
--これまで、自発的に好きで聴いてきた音楽はどんなものですか。
学生時代はニュー・オーダーとかプリファブ・スプラウトとか聴いてました。プリファブ・スプラウトは本当に大好きです。その後がソフトロックですね。メロディの美しさと展開に惹かれました。あと、ゾンビーズには相当影響受けましたよ。転調の仕方なんかの勉強になりました。今も好きでよく聴いてますし。
--劇伴もやってらっしゃるんですね。
結局、作家志望なので、昔から背景音楽をやりたかったんです。最初にやったのが『ムコ殿』(01年)ってドラマで、ほかにも『きみはペット』(03年)とか、最近だとアニメ『きらりん☆レボリューション』(06年)の音楽もやらせて頂きました。劇伴は、まだまだたくさんやりたいですね。
--では、アルバム『かなえられない恋のために』について。全体にリスナーに媚びてない感じがします。登場する女性がどれも自立した印象がありますが。
そうですね。どちらかというと、女性上位なところが多いかも知れません。男性に寄りかからずに、「私は私でいきます」って感じの女性が主人公。OLの子がちゃんと仕事で稼いで、自分でマンションも買っちゃった、みたいな。それでいて自由に恋愛してる感じ。
--「lily on the hill」は、もともと松下電器の「Nのエコ計画」というインフォマーシャルのために書かれた曲なんですね。
この曲は、その時に映像に合わせて書いたんですけど、サビを聴いてもらうよりも、Aメロのコードの回し方が良く出来たと思ってて、そこをちゃんと聴いて欲しいんです。「Nのエコ計画」の時も、編集でAメロを入れてのサビ、みたいな構成にしてるんですよ。これはサビだけ聴いてもらってもあまり嬉しくない。
--「100年後にはふたりはいない」はいかがですか。
これは刹那的な恋愛の曲です。ワンナイト・ラヴじゃないけど、そんな感じ。この曲はアレンジを含めて今までのbiceにはないタイプの曲ですね。私は自分の作品を聴いて、女性に共感してもらいたいんですけど、なぜか男性の方が反応するんですよね。それがちょっと不満っていうか(笑)。
--「スプラッシュ」はどうでしょう。
クレスプキュールあたりの曲を聴いてて出来た曲ですね。程よい打ち込み感、程よい軽さ、平坦な感じ。サビは地方のCM用に書いて、一時期使われてました。米倉涼子さんが出てた洋服屋さんのCMです。もう6年くらい前かな。これも自立した女っていうか、自由で積極的な女の子を描いてるんですけどね。私、ある時、もう受け身はやめようと思ったんです。ふられたのがきっかけで書いたのが「lily on the hill」なんですけど、それ以降、積極的にいこうと思って(笑)。
--「heaven」は、舞台が海外だと思って聴いていたら、いきなり"東京"という都市名が出て来て驚きました。
この曲は〈ジャーナルスタンダード〉っていう洋服屋さんがあって、そこの秋物のプロモーション用のショートムービーを作った時に、そのサウンドトラックのエンディングに使われた曲が元になってます。映像は外人の女の子と外国の風景で、"私は都会に出て頑張ってみる"っていう内容だったんですよ。その時の歌詞は英語でしたし、外国っぽいイメージは、映像から導かれて出来たメロディだからかも知れないですね。私、上京した頃、思い描いた夢や物事が思い通りにうまく進まないもどかしさを経験していて、いつかその時の気持ちを書いておきたかったんです。これが最後のアルバムになるかも知れないと思ってたので、書き残したかったんですよね。
--最後のアルバムとは?
いや、それくらいの気持ちで作ったってことなんですけど。今回のアルバムは、出来ればリスナーにとって、その人の生活や人生になくてはならないアルバムになって欲しいと思います。
この曲は、その時に映像に合わせて書いたんですけど、サビを聴いてもらうよりも、Aメロのコードの回し方が良く出来たと思ってて、そこをちゃんと聴いて欲しいんです。「Nのエコ計画」の時も、編集でAメロを入れてのサビ、みたいな構成にしてるんですよ。これはサビだけ聴いてもらってもあまり嬉しくない。
--「100年後にはふたりはいない」はいかがですか。
これは刹那的な恋愛の曲です。ワンナイト・ラヴじゃないけど、そんな感じ。この曲はアレンジを含めて今までのbiceにはないタイプの曲ですね。私は自分の作品を聴いて、女性に共感してもらいたいんですけど、なぜか男性の方が反応するんですよね。それがちょっと不満っていうか(笑)。
--「スプラッシュ」はどうでしょう。
クレスプキュールあたりの曲を聴いてて出来た曲ですね。程よい打ち込み感、程よい軽さ、平坦な感じ。サビは地方のCM用に書いて、一時期使われてました。米倉涼子さんが出てた洋服屋さんのCMです。もう6年くらい前かな。これも自立した女っていうか、自由で積極的な女の子を描いてるんですけどね。私、ある時、もう受け身はやめようと思ったんです。ふられたのがきっかけで書いたのが「lily on the hill」なんですけど、それ以降、積極的にいこうと思って(笑)。
--「heaven」は、舞台が海外だと思って聴いていたら、いきなり"東京"という都市名が出て来て驚きました。
この曲は〈ジャーナルスタンダード〉っていう洋服屋さんがあって、そこの秋物のプロモーション用のショートムービーを作った時に、そのサウンドトラックのエンディングに使われた曲が元になってます。映像は外人の女の子と外国の風景で、"私は都会に出て頑張ってみる"っていう内容だったんですよ。その時の歌詞は英語でしたし、外国っぽいイメージは、映像から導かれて出来たメロディだからかも知れないですね。私、上京した頃、思い描いた夢や物事が思い通りにうまく進まないもどかしさを経験していて、いつかその時の気持ちを書いておきたかったんです。これが最後のアルバムになるかも知れないと思ってたので、書き残したかったんですよね。
--最後のアルバムとは?
いや、それくらいの気持ちで作ったってことなんですけど。今回のアルバムは、出来ればリスナーにとって、その人の生活や人生になくてはならないアルバムになって欲しいと思います。
--ちなみに、アルバムのなかで、敢えて一番聴いて欲しい曲を挙げるとするとどの曲になりますか。
やっぱり「lily on the hill」ですね。
--では、biceの音楽を一言で表すとすれば?
"裏エヴァーグリーン"かな(笑)。なんていうか、派手ではないけど、流行には左右されない感じ。ちょっとエレクトロニカっぽい曲もあるけど、アルバム全体を通して、普遍性を意識して作りました。
--最後にリスナーへの一言をお願いします。
聴いてくれた方に対しては、「biceを知ってくれてありがとう。共感してくれたあなたに愛を感じます」と伝えたいです。
(Musicshelf 2008年7月23日掲載)
Musicshelf 後半の bice選曲のプレイリストはこちら
やっぱり「lily on the hill」ですね。
--では、biceの音楽を一言で表すとすれば?
"裏エヴァーグリーン"かな(笑)。なんていうか、派手ではないけど、流行には左右されない感じ。ちょっとエレクトロニカっぽい曲もあるけど、アルバム全体を通して、普遍性を意識して作りました。
--最後にリスナーへの一言をお願いします。
聴いてくれた方に対しては、「biceを知ってくれてありがとう。共感してくれたあなたに愛を感じます」と伝えたいです。
(Musicshelf 2008年7月23日掲載)
Musicshelf 後半の bice選曲のプレイリストはこちら