3年ほど前、ピンク・フロイド初期の中心人物だったシド・バレットの評伝(Rob Chapman "Syd Barrett: A Very Irregular Head")を読んだのですが、その中で、シド・バレットから大きな影響を受けた、同じケンブリッジ所縁のシンガーソングライター、ロビン・ヒッチコック(ソフト・ボーイズ、エジプシャンズなど)が面白いことを言っていました。
20代前半の若さで才能を枯渇させてしまったシド・バレットについて
「…大抵のアーティストは才能を薄めて少しずつ使ってゆくのだけれど、シドの才能は全く薄められていないがゆえに、搾り出したあと瞬く間にチューブは空になってしまった。開いた水門から迸り出た激流のようなもので、彼にはその後もうどうすることもできなかった」と。
画家でもあったシドの才能を絵具に喩えるのは非常に上手いと思ったのですが、読みながら、この才能の絵の具チューブの喩えを信じるとして、bice の場合はどうだったのだろうか、とふと考えてしまいました。
彼女の残した作品を聴くと、決してその才能を出し惜しみしていたとは感じられない中身の濃い作品を送り出していた一方で、まだまだシンガーソングライター業に留まらない音楽制作の意欲も能力もあり、チューブの中に使い切れていない才能を残したまま夭折してしまったような印象もあります。
もし彼女が生きていたなら、その残りの才能の絵の具を使ってどのような色彩の音楽を制作していったでしょうか。それは想像するしかありません。bice の頭の中で構想されていた音楽は、彼女によってしか具現化できません。それは永遠に失われてしまったのです。
私は詳しく会見などは見ていないのですが、小室哲哉さんが引退発表の際に、「才能の枯渇」という事も引退の理由として挙げていたそうですね。
人間が不死ではない以上、その才能も有限だとすれば、活動を長く続けていれば避けられない現実なのかもしれませんが、そういった現実に向き合うことはファンの方にとっても切ないものだろうと思います。
でも才能を枯渇するまでフルに使いきることも、なかなか実際にはできることではないでしょうから、そのほとんど全てが作品の形で残って聴くことができるなら、それはそれで幸せなことのようにも思えます。
今日は bice の誕生日ですね。来月発売予定の『かなえられない恋のために』のアナログ盤が無事に発売されて、ひと月遅れの誕生日のお祝いになるといいですね。