フォーライフ所属だった中島優子時代の後期、oh! penelope にプロデュースして貰うことになったいきさつから、気心の知れた二人らしく、ざっくばらんに語られています。後に atami に発展したと思われる渡辺善太郎さんのソロ・プロジェクトについての話も出てきます。
導入の文中に渡辺さんが 『bice』 に1曲提供しているとありますが、4曲全て bice の自作曲なので、「Lazy Trip」の編曲をされたことを指していると思われます。またインタビュー前半に出てくる「2枚目」とは、oh! penelope が参加してからの2枚目、中島優子の最後のアルバム 『charmless?』 (1996年) にあたります。
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キテレツ系のかわいさ ビーチェ + 渡辺善太郎
インディーズ盤が大きな話題になったビーチェがついにメジャー・デビュー。デビュー・マキシシングル『bice』は、作詞・作曲・編曲をこなす彼女のデスクトップ・ギターポップとでも呼べる 緻密かつ繊細な音が展開されている。
そこにかねてから彼女の音世界をサポートしていたプロデューサーの渡辺善太郎が、引き続き参加し、1 曲提供している。チャラを筆頭にあまたの女性シンガーを手掛ける、今最も多忙なプロデューサーのひとりである彼と出会い、「命拾いをした」 とまで言ってしまえる程、彼女の彼への信望は厚い。「何かしらキテレツにしたい」という渡辺とビーチェのコラボレーションは、単にスウィートなだけじゃない女性ポップスを生み出している。
キテレツとかわいさのせめぎ合いを続けるふたりの対談をお届けする。
―ふたりはどういったきっかけで知り合ったんですか?
渡辺 「4年前、彼女がフォーライフにいた時代に2曲作って、2枚目の時は共同だったんですけど」
―あの時にはもう始まってたんですか?
ビーチェ 「そのオー・ペネロープを聴いて頼んだんです。まったく何のつながりもなかったから、 ディレクターに手紙を書いてもらって。そして会いに行って、けちょんけちょんに言われたんですけど。“だっせーの”とか、まずルックスからして(笑)。でも、それで私は鍛えられた。がんばっていこうと(笑)」
渡辺 「そんな失礼なこと言った(笑)? デモテープ聴いたときは、前作の2枚も聴かせてもらったけど“これをどうしろよ”って感じ。話してみて、聴いてるのは UK もので、歌ってるのとは全然違うって知って。聴いてるのに近い音にしたらいいんじゃないかと」
ビーチェ 「だんだん音がこっちに来たというか。 それで本当に善さんに会えて良かったなあと思いました。命拾いしたなあと」
―絶対に褒めないんだ。
ビーチェ 「けど、インディーズ盤は褒めてくれたよね」
渡辺 「褒めて持ち上げてが、僕の基本的なやり方だから(笑)。とにかく最初、音だけはかっこよくすればと。けど、2枚目は歌もかっこよくなってたんで、もっと入れ込んでできて。だから2枚目の方が全体的にはいいかな」
―今回意図的に変えたというところは?
渡辺 「前のデモを聴くと、打ち込み多いしわりと モダン、何でもあり、ジャンルなしって感じ。今回はアコースティックに重点を置いてやるって感じで。ビーチェ自身打ち込みとかはもうやりたくない感じだったんで。僕としても軟派系は あまり得意じゃないし」
ビーチェ 「キテレツ系だ(笑)」
渡辺 「キテレツ系(笑)。基本的に何かしらキテレツにさせたいと。僕がやった『レイジー・トリップ』とかは本当にキテレツ系」
―善太郎さんの音楽ってわかりますものね。 何だか濃くて。
渡辺 「やっぱり濃いですか。もっと流せるように作りたいんですけどね。音数が多いというか 装飾が多いというか。少しやりすぎるのが悩みなんですけど」
―善太郎さんは今すごい数の女性シンガーを抱えてますけど、婦人科専門としてどうですか?
渡辺 「婦人科専門(笑)。男は自分で作る事が多い、女の人はそれが少ないというのはあるかも。 自分の音楽が何か軟弱というか、女向きっていうのもあると思う。全仕事の1~2割が男なんですけど、ノイジーなバンドにもポップな要素を入れちゃったりして、それ、“かわいすぎる”って苦情が来たりする。男には少しかわいくなりすぎちゃうのかも」
―女の子のキャラクターの違いはどうやって対処してるんですか?
渡辺 「キャラクターもジャンルの違いも、切り替えが大変ですね。キャラクターで音が違うのは自然なことだし、女の子は詞を書く子が多いから、それを壊さないように合わせて作るんで、サウンドを変えるのは逆に難しくはないんですよ」
―ビーチェの場合、自分で作ってるじゃないですか。曲に対してはどういうふうに善太郎さんに言ってるの?
ビーチェ 「『レイジー・トリップ』という曲では、 自分でアコギだけでさらっとやることもできるんだけど、それじゃつまらないから面白くしてくださいと言ったり。お任せといえばお任せで」
渡辺 「初め、オルタナとかグランジっぽいギターのうるさいサウンドでパンクっぽく、とやったら見事玉砕。その日の朝になって、やっぱりオシャレ系でいこうと。ぎりぎりまで迷ったんですけど」
ビーチェ 「最終的にはオルタナに近づいたんですけどね」
―次のにはどのように参加してらっしゃるんですか?
ビーチェ 「雰囲気作り(笑)。善さんはいつもこういう調子だから。でも、ストリングスの重ね方をちょっと直してくれたり、最終的には助けてくれる」
渡辺 「人が何かやってると、それ以上あれこれ言わない。だから、バンド系のプロデュースはできない。“人様が弾いたのにそんなケチつけるなんて”って感じだから」
―プロデュースって幅がありますよね。ただ居て“いいんじゃない”って言ってる時と、やたら作んなきゃいけない時と。
渡辺 「だから、クリエイターが居るところでプロデュースするのは大変ですね。すべて任してもらって、ダメだからやり直しとかいうのは平気なんですけど」
―今回、トータルで聴いてみてどうでしたか?
渡辺 「いい感じっすよ。多分(笑)。レコーディング中のラフミックスの段階で、すごい聴くんですけど、それ以外は聴かないんです。プロデューサー失格ですよね(笑)」
ビーチェ 「決断力があるんでしょ」
渡辺 「そんなことない。人の顔色うかがってるよ(笑)。のってるかなあ、気に入ってるかなあと。 自分が思ってる方向に進んでるかどうかは気になるけど、基本的に細かいことは気にしないです」
―わりと好きなようにやってる方じゃないですか?プロデューサーとして。
渡辺 「50万枚売らなきゃいけないって仕事ないから(笑)。頼まれてやってるわけじゃないし。 まともに収めるの苦手だから、それだけは常に避けてて。だからスピード遅いし、時間はかかりますね」
―売れる売れないのギリギリの境目って何ですか?
渡辺 「聴きにくいものを作るつもりはない。アブストラクトなのを作りたい時もあるけど、それとポップなのを作る時との境界線は、自分の中で自然にフォーマットが出来ているというか。 あとはキテレツ度がどこまでいけるかがテーマ。 スタンダードなアレンジとか、聴きやすいアレンジとか、それしかないという時もすごく大変、で、どうしても音にならない時は“こんなん出来ん。田舎帰る”みたいな(笑)」
ビーチェ 「善さんの夢は、両親に楽させることなんですよね」
渡辺 「そういう生き方はかっこいいと思うだけなんですけどね。マグロの一本釣りで、100万円儲けて。それで休んで、金がなくなるとまた海へ出るみたいな。まあ、今もそれに近いんですけどね(笑)。けど魚を釣るのと曲を作るのはえらい違いで。魚捕る方がずっとスマートな気もする、 なんて。全然、夢物語(笑)。でも今、キテレツにかっこいいことやってるバンドとかあるけど、僕はそれとポップスのミックスってせこいところで売れてるんだと思う。なんだかんだ言っても、ものとして美しくないオルタナな部分はある」
―今オー・ペネロープって開店休業中なんですか?
渡辺 「開店休業中だね、ここ1年半くらい。次はソロアルバム」
ビーチェ 「善さんすごくいい声ですもんね。気の抜けた、ピッチ外れた、熱のない感じで(笑)。 逆に、提供した曲全部歌ってみたらいいんじゃないですか?」
渡辺 「何曲かはやりたいな。基本的に家で録音しようと思ってるから。ロー・ファイ的な打ち込みとギターで、多少お笑いを入れつつという感じかな(笑)。インディーズで出そうと思ってるんです。下手な色気は出したくないから。日本を目指すより世界を目指そうと。“目指せ、次回のフジロックフェスティバル”ですね。思いっきり日本じゃねえか、みたいな(笑)。いちおうバンド構想は立ってるんです、バンド名は“サイドミラー”、ジャケもアメ車みたいな。けど本当は、自分のことやってる時間ないんですけどね」
ビーチェ 「そういえば、善さんに“早くワイから卒業しろ”と言われた。でも、どっちにしてもまた頼むんで。私も普通のアレンジとかしたくないから」
渡辺 「そりゃ、もう、喜んでやらさせていただきます(笑)」
写真: 河合竜也
文: 菅付雅信
(『Composite』 Vol. 2, No. 5 1998年8月号掲載 )