まず雑誌『ストレンジ・デイズ』に掲載のチューダー・ロッジの来日時のインタビューから、該当箇所の引用です。
―コンサートは日本人プレイヤーがサポート(清水弘貴がベース、bice がコーラス&キーボード)する態勢でしたが、これはどういうきっかけで?
ジョン・スタンナード 「来日に合わせてリン(・ホワイトランド)と僕は、まず二人で3週間ほどリハーサルしてきた。それから日本に来てリンドンと合流し、彼の紹介で彼らと演奏する機会に恵まれたというわけだ」
―そのリンドンさんは、いま日本に住んでいるんですよね。
リンドン・グリーン(以下G) 「そう。妻が日本人なので。日本に住み始めてもう2年半になる」
―日本でずっと音楽活動を続けていくんですか?
G 「音楽活動といっても、bice のアルバムに協力したくらいで、その他の予定は今の所まったくないんだ。現在は英語講師の仕事に専念しているよ」
―ということは、オリジナル・メンバーのうちの二人が揃ったチューダー・ロッジも、日本だけの特別編成というわけですか。
G 「(笑)ああ、その通りだ」
(『ストレンジ・デイズ』 No. 6, 1999年12月31日発行より)
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…というわけで、bice がポニーキャニオンに在籍していた頃に、チューダー・ロッジのデビュー当時のメンバーで、日本在住のリンドン・グリーンさんが彼女の音楽活動に少し関わった事がきっかけであるようです。
ただインタビュー中にある「bice のアルバムに協力」というのは具体的にはどういった形だったのかは不明ですが、気になるところです。
後に『Nectar』として発表されることになるアルバムの原型を制作時の話かと思われますが、 このアルバムは発売までに2度のレコード会社移籍を挟んで、制作自体もその都度仕切り直しとなっていますので、その過程でグリーンさんが参加された曲やヴァージョンは採用されなかったのか、最終的に発売された『Nectar』のクレジットには、彼の名前は残念ながら見当たりません。
ただ、bice のライヴにゲスト参加されたときの写真が残っています。
リハーサルの模様 (『Marquee』Vol. 11より ) |
また、bice が中島優子時代に所属していた事務所で関わりのあった sola tsukamoto さんが、ブログにご自身で撮影された1998年から1999年にかけての大変貴重な bice のライヴ写真を掲載して下さっていますが、その中にもグリーンさんや清水ひろたかさんらしき姿が確認できるショットがありますね。
中島ちゃんの一周忌
https://ameblo.jp/tsukamotosola/entry-10966297588.html
中島優子ちゃんの訃報
https://ameblo.jp/tsukamotosola/entry-10606556956.html
ちなみに、リンドン・グリーンさんは現在も千葉県で英語講師をされているようです。 音楽活動はされていないようなので、音楽業界との接点もほとんど無いとしたら、bice の訃報はもしかしたら伝わっていないかもしれないですね。ちょっと切なくなりますが。
bice 「チューダー・ロッジっていう70年代にUKで活動していたトラッドフォークのバンドで、すごくいいバンドなんですけど。そのバンドが来日して一緒にやったりして。充実してたっていうか、私の知らない世界を体験出来た」
(『Girlie's Cafe ガーリーズカフェ』2000年発行より)
彼女の音楽活動の中で、ライヴ・サポート自体は短い期間のささやかな出来事に過ぎないように見えますが、bice にとっても得難い経験ができ、彼らの音楽からの影響も受けて、「K-garden」のような素晴らしい曲も生まれたことを考えると、彼らとの出会いは大きな意味があったのではないでしょうか。