"Produced by ビーチェ bice"
との記載があり、bice 単独のプロデュース作となっていますが、当時マスコミ上では「小西康陽プロデュース」だと盛んに宣伝やレビューがなされ、bice 自身によるプロデュースだと書かれたものは皆無、bice の友人の方でさえ「小西康陽プロデュース」と書くことに何のためらいもないようでした。
そういった当時の状況を受けての小西さんの言葉です。
さて、ビーチェさんもいよいよ明日発売。各誌絶賛。いくつかの雑誌で、小西康陽プロデュース、と大きく書かれているのを見ましたが、今回、ぼくは本当に何もしてません。作詞・作曲・編曲。ミックスダウンも、マスタリングも全てビーチェさんが担当。ぼくがやったのは、せいぜい幾つかの曲でタイトルを提案して、いくつか採用されたことぐらい。あとは、仮ミックスが届く度に、最高、とか言っているだけでしたので。
でもこのアルバムに、ほんの少しでも関わることが出来たのは、自分にとっても光栄なことでした。あとは皆様、ぜひ聴いてみてください。誰だって信用出来るのは自分の耳だけです。リピートしてます。
(2008年7月22日 columbia*readymade 公式サイト・トップページのエッセイより)
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「今回、ぼくは本当に何もしてません」というのは bice に花を持たせるための謙遜ではなく、アルバム制作に限って言えば実際そうだったのだろうと思われます。
bice のアルバムより一足先に columbia*readymade のレーベル・サンプラーとして発売された 『うたとギター。ピアノ。ことば。』 (bice 「lily on the hill」 収録) の特集ページには、
bice のレコーディング中の新作は「彼女のセルフ・プロデュース」だとはっきり書かれています。
biceさん。彼女の音楽は本当にワン・アンド・オンリー。誰にも似ていない。真夜中に彼女のCDを聴き始めると、その夜は他のレコードは聴きたくなくなってしまう感じの。
columbia*readymadeでは、現在、彼女の新作をレコーディング中。もうすぐ完成です。これは本当に楽しみ。もちろん彼女のセルフ・プロデュース。もしかしたら、ジャケット・デザインは、すこし関わることになるかも。でも、前作・前々作とまったく違うのは、イヤですよね、ファンとしては。
レコーディング中はぼくもスタジオ作業をしていたので、まったく会わず。そうしたら、青山ブックセンターでの単行本サイン会に突然現れて、ビックリ。イタズラ好きなんですね。
http://web.archive.org/web/20090517082817/https://columbia.jp/columbia-readymade/topic/topic_uta_column_524.html
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また「レコーディング中はまったく(biceと)会わず」とも書かれていて、もし小西さんがプロデューサーであれば、レコーディング中全く彼女と会わないというのは考えにくいでしょう。
つまり小西さんは楽曲制作・録音などのスタジオ・ワークに全く関与せず、CDのアートワークと、幾つかの曲タイトルの提案のみ関わった、ということになります。
確かに、小西さんは columbia*readymade レーベル・プロデューサーの立場(当時)でしたし、小西さんの尽力がなければこのアルバムのリリースはそもそも不可能であったという意味では、「小西康陽プロデュース」とするのは完全に間違いとは言い切れないとは思います。
ただ小西さん自身がこのアルバムのプロデューサーだと書かれることに違和感を示していることを考えると、アルバムのアートワーク ("Art Direction: 小西康陽 & bice" とクレジットされている)を除けば、むしろ音楽制作に直接関係のないクレジット外の部分での貢献が多大であったと見るべきではないでしょうか?
一方 bice 本人はインタビューで以下のように述べています。
私は結構面白いやり方でアレンジしているので、小西さんはあえてリスナー側の立場でレーベルオーナーとして アートディレクションを中心に関わっていただくことになりました。
…とやはり彼女の方も小西さんにプロデュースして貰ったとは発言していません。「あえてリスナー側の立場で」というのは、小西さんがプロデューサーを含む音源制作者の側には意識的に立たなかったと解釈できます。
もし bice と小西さんの共同プロデュースということであれば、アートディレクションと同様にクレジットは連名にしたことでしょう。bice 単独で記載されているということには注意を払う必要があるように思います。 (続く)